フェンシング:北京オリンピック館

フェンシング

北京オリンピックのフェンシングについてです。 五輪の競技の中では日本人には比較的馴染みの薄い競技もがくさんあります。 北京オリンピックでも実施されるこうした競技について若干ですが、ご案内してみたいと思います。北京オリンピックに絡めて中国旅行を計画している方は、フェンシングも視野に入れておくのも悪くはないでしょう。 今回は「フェンシング」についてその歴史を中心にまとめてみます。

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フェンシングの原形は想像どおり、これは中世ヨーロッパの騎士による剣術にあるとされています。火薬の使用に目覚めて火器が発達したことによってフェンシングは戦闘手段というよりもスポーツとして扱われるようになりました。
しかし、フェンシングのその繊細なテクニックが大勢の人に魅了し、19世紀末頃には欧州各地の競技場で盛んに行われました。

現在の国際フェンシング連盟(FIE)ルールの原典にもなっているものは、1914年パリで開かれたIOC総会において採用された競技規則です。
オリンピックの全種目(具体的にはフルーレエペサーブル)に適用するために真剣な討議と検討がなされた末に、総会の席で満場一致で可決されたといわれています。



簡単に3種類の種目の違いを説明しておきます。

フルーレ
決闘の練習をモデルにした競技です。有効面は手足を除く胴体のみです。その理由は練習時の防具が胴体部分にしかなかったせいだとと言われています。
フルーレには先に攻撃したほうが優先権を持つという「攻撃権」という権利があります。
攻撃された方は相手の剣をバラード(相手の剣を払う行為)した後でないと得点は入らない仕組みです。

エペ
決闘そのものをモデルにした競技です。そのため、有効面は頭からつま先までの全身です。これは決闘そのもののルールを受け継いでいるからと考えられます。

サーブル
アラビアの騎馬民族の剣術をモデルにした競技です。有効面は腰から上で、これは馬上の剣術のためです。
フルーレやエペと異なるのは突きの動作だけでなく、切る動作も含まれます。
この競技もフルーレと同様に攻撃権が存在します。



フェンシング競技の判定は当初は審判員の目視にて行われていたものですが、瞬間的に勝負が決する競技であるため、1936年にはエペ種目に最初に電気審判器が導入されました。これによって、電気的な判定の公正さが立証されると、競技人口も急激に増えたと言われています。
その後に残り2種目(フルーレ、サーブル)についても電気化され、今日に至っている次第です。

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日本のオリンピック参加の歴史ですが、ヘルシンキ大会(1952年)とメルボルン大会(1956年)に視察員が参加したのが始まりです。

東京大会を見越してローマ大会(1960年)で初めて選手団を派遣しました。
1964年東京大会では、選手強化が実って男子フルーレ団体で4位入賞という当時としては快挙が達成されました。
その後もオリンピック大会には毎回選手を派遣しているものの、それ以上の成果は上がっていません。

北京オリンピックでのフェンシングの日程ですが、開会式翌日の9日から17日まで予定されています。テレビ放映などにも注目したいところです。



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